こんにちは、こいともです。
今日は山の話……のようで、山だけの話ではありません。
うちの庭に立っている、一本の桑の木の話です。
数年前、鈴なりに実った桑の木に出会いました。
赤黒い実がぽとぽと落ちているのに、誰も採ろうとしない。
夫くんの「もったいないなぁ」
それが、すべての始まりでした。
調べてみると、桑の実は栄養価が高くて、ビタミンCや鉄分、アントシアニンなど、女性に嬉しい成分がたっぷりだそう。そしてジャムにできるとのこと。

とりあえず作ってみたら、これがおいしくて。
おすそ分けしたら、思いのほか喜ばれました。
翌年、桑の実収穫はちょっとした争奪戦になり、ジャムも大変喜ばれました(特に女性陣に人気です)。
「楽しかったなぁ、毎年食べたいなぁ」と思っていたら、挿し木で増やした桑の木を譲ってもらえることになり、我が家の庭にやってきました。今年で5年目になります。

去年は、私が挿し木にした分から4本が根付いたので、今度は私が人に譲る番でした。
我が家の木が子どもなら、配った木は孫。
桑の木の家系図が、少しずつ広がっています。
ジャムを配っていると、桑にまつわる話が向こうからやってくるようになりました。
いちばん心に残っているのは、90歳になる方の言葉です。
「桑は、捨てるところがないんだよね」
葉っぱは蚕(かいこ)のごはん。
皮は繊維、そして布へ。
皮をはいだ枝や根っこは焚きもの。
そして実は——子どもたちのおやつ。
みんな口の中を真っ赤にして食べていたそうです。

今はほとんど見かけない桑の実が、ひと昔前までは、山あいの暮らしをまるごと支えていたんですね。
その話を聞いてから、山の見え方が少し変わりました。
長崎の雲仙普賢岳に登ったとき、「風穴(かざあな)」という場所がありました。
看板を読むと、年間を通じて低温を保つこの穴で蚕の卵を冷やし、かえる時期を調整していたのだそうです。

山の力を借りて、糸をつくる。
へぇ!と思うと同時に、ふと思い出したことがありました。
私、昔、絹の生地で帽子を作っていたことがあるんです。
手芸が好きで、布小物を作っては販売していた時期がありました。作って、使ってくれた人の声を聞いて、少し形を変えて、また作る。その繰り返しが、たまらなく好きでした。
あのとき手にしていた絹は、どこかの誰かが育てた蚕が、どこかの桑の葉を食べて、吐いた糸だったわけです。

庭の桑の木と、雲仙の風穴と、昔の私の手仕事が、一本の糸でつながった気がしました。
誤解のないように言っておくと、私は養蚕に興味があるわけではありません(笑)
ただ、桑の木一本から——
実がなって、
ジャムになって、
人に喜ばれて、
会話が生まれて、
昔の暮らしにつながって、
糸になって、布になって、手仕事になる。
この「素材から何かが生まれていく流れ」が、どうやら私はとても好きみたいなのです。
昔の人たちは、身近な素材から当たり前のように価値を生み出していました。
完成品を買ってくるのではなく、そこにあるものから、暮らしに必要なものを作る。
考えてみると、今の私がやっていることも、少し似ています。

山を歩いて、駐車場の場所やトイレの有無を確かめて、地元の方の話を聞いて。
そんな「素材」を集めて、文章にして、誰かの役に立てばいいなと願う。
昔の人が桑の木でやっていたことを、私は言葉でやろうとしているのかもしれません。
桑の木は、驚くほど勢いよく育ちます。
剪定しても剪定しても、葉がワシャワシャと茂ってくる。
もし近くに養蚕をしている人がいたら、
「葉、いりませんか?」
と声をかけたくなるくらいです(笑)
今年も、桑の実のジャムを配りました。
瓶と一緒に、90歳の方に教わった「捨てるところがない木」の話を添えると、みなさん少し嬉しそうな顔をしてくれます。

ジャムと一緒に、物語もおすそ分け。
庭の桑の木は、今日も静かに、次の何かが生まれるのを待っています。
本記事はAI「Claude code」を活用し、効率的に執筆しています。AIが生成した内容については、筆者が事実確認と編集を行い、独自の視点や体験談も加えています。